第1回Socialインタビュー実施報告
―今回、野村さんには、企業やNPO、行政などとの間でソーシャルなプロデュース活動をされているキーマンとして、様々なお話を伺えられればと思います。
まずは野村さんのこれまでを伺いたいのですが、今では野村さんにはソーシャルプロデューサーや大学講師、団体役員など、様々な肩書きがありますよね。
よくわからないですよね?(笑) 基本はプロデュース業です。
―そういったプロデューサーとして活動している中で、一番エポックとなったのはコーズブランド(寄付つき商品)の書籍を出されたのがきっかけなのかなと思います。コーズブランドのきっかけや、書籍の出版に至るまでのお話を伺えますか。
社会には様々な組織があり、企業や行政、NPOなどがあります。これらの組織は各々取組んでいることがあり、それぞれに強みを持っています。ですから、社会的課題を解決するには、皆で連携すればうまくいくはずですが、業界やカルチャーの違いなどから交わることはあまりありません。そこで、まずは企業とNPOがくっつけば、一緒に社会的課題に取組むし、NPOの財源不足や人手不足も企業の支援によって補えるのではないかと考えました。しかし、それはあくまでもこちらの勝手な考えであって、実行するには企画づくりや動機づくりが必要なんですよね。
私がこのようなことを思案したのは2004~5年頃でした。企業に勤めながら大学院で学んでいた時期です。そこで答えを探しているなかで出会ったのがコーズ・リレイテッド・マーケティング(CRM※)でした。CRMは今でこそ知られるようになりましたが、当時はVolvicやネピアといった日本における第一世代がまだ活動する前でした。そこで、国内の小さな事例や海外の事例などを調べ、個人的に活動しはじめたんです。そうすると、CRMに詳しい奴がいると知られるようになって、マーケッターやCSR担当から問い合わせが来るようになりました。私の様にCRMに悩んでいる人が実は何人もいたんですね。そうした人たちとの出会いがきっかけとなり、アドバイスなどをしていたら仕事になっていたという感じです。
しかし、当時はまだそうした考えが知られていなかったので、手をつけたのが消費者教育でした。CRMはマーケティングの一つですが、マーケティング的に考えれば最初に行わなければならないのは消費者ニーズを創ることです。そこで出版社へ打診して、こういった商品選択があることを啓蒙する書籍を執筆したのです。そして出版したのが日本初のコーズブランドのガイド本である「世界を救うショッピングガイド」でした。
(※:http://www.yomiuri-is.co.jp/perigee/feature12_02.html )
―書籍を執筆された後は順調にコーズブランドが拡がったのですか。
いえ、なかなかそうはいきませんでした。CRMの難しいところは、マーケティングと社会貢献(CSRなど)を融合させているところです。そして、企業とNPOが協働することです。なので、CRMをマーケティング領域だけから見てもダメだし、CSR領域だけから見てもダメ。さらに企業経営だけから見てもダメで、NPO活動や社会的課題の領域からだけ見てもダメなんです。このような複眼的な見方をできる人は少なく、だからこそ相談を受けるようになったのですが、相手は一つの組織で活動している人たちで。なので、まずは仕組みを理解してもらうのがたいへんでした。
また、もう一つたいへんだったことに、社会貢献活動と物を売る活動を一緒にやって良いのか?という批判がありました。日本には「陰徳の美」があり、良いことは黙ってやるもの。そして、物を売ることと社会貢献を一緒にやることは「偽善」や「売名」と批判されます。こうした考えは旧くからあるので、理解してもらうのにはたいへん苦労しました。
ちなみに、CRMは企業の意識の変化によって広がったと言う人がいますが、それは間違いではありませんが正しくもありません。この活動は企業・NPO・消費者の3者の参加によってはじめて実現できるからです。だから、消費者が商品を選択する際に企業の社会貢献を意識するようになったことや自身の社会貢献意識が高まったこと、そして、NPOがしっかりと活動して社会的課題を解決する組織としての存在感を高めたことも忘れてはなりません。もちろん、企業のCSR意識の高まりやマーケティングの進化もありますが、3者が同時に変化したことによって拡がったんです。
―野村さんはアカデミックの分野でも活動されていますが、どうして、実務だけではなくて研究もされているのですか。
私は基本実務家です。しかし、アカデミックの人は実務家にはない強みを持っています。この分野は実践の場が進んでいるので、現場にいる人が一番強いのですが、反面、実務家は自分の経験だけで物事を判断したり一般化するクセがあります。しかし、物事を俯瞰で見たり、論理的に理解するにはアカデミックなスキルはたいへん有効です。このように両者は別の強みを持っているので2つで活動するようにしています。
また、私は2つの大学院で学びましたが、一つはNPOやCSRといったソーシャルな活動について学ぶところ。もう一つは企業経営について学ぶところでした。前者は社会学で後者は経営学をベースとしていますが、2つは学術分野が違うことから物事の見方にも違いがあります。このように学術分野も一つに限定されなかったことで、さらに複眼的な見方が得られたように思います。
―野村さんは実務家で社会に出た時の温度感がお分かりになるから、社会貢献(寄付)をマーケティングの中に取り入れることができたのですか。
そうかもしれません。マーケティングの実務を知っていたので理想だけでは動かないことをわかっていたのだと思います。当時は私の様に企業のなかに居ながら、NPOや社会的課題のことを学ぶ人は少なかったです。どうしてそのようなことを研究しているの?何をしたいの?などとよく聞かれました(笑)。しかし、最近はいろいろなプレイヤーが出てきました。コンサルを辞めたり官僚を辞めたりなど。
また、『ソーシャルビジネス』や『CSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)』と言った、企業人が自分のやってきた経営の領域から社会的課題をどう解決するかについても考えるようになりましたし、街づくりなどをしている建築系の人たちもそのノウハウを『コミュニティデザイン』へと進化させています。さらにデザイナーや芸術系の人たちも『ソーシャルデザイン』の活動をしています。ただ、今は概念がどんどん広がっているので、『コミュニティデザイン』という言葉が町づくりや地域づくりといった意味だけではなく、人と人をつないで社会(ソーシャル)をデザインするといった意味にもなっています。こうしたことから、最近は様々な人たちが自分の専門領域を超えて活動しています。例えば、私は地域活性化のプロデュースもやりますが、コミュニティ系の人は町づくりをベースにイベントやプロモーションも手がけます。しかし、本来、プロモーションであれば、プロモーションの専門家の方がノウハウはあるはずです。ならば、専門家が参加すれば良いと思うのですが、あまり現れない。理由は関心がないからか、機会がないからか。しかし、フロンティアさんは会社として『ソーシャルプロモーション』を提唱しているし、社長をはじめ社員の人たちも社会的課題への関心の高い人が多いと思います。だから、フロンティアさんはもっと参加すれば良いと思います。そうすることでこの分野は広がりますし、なんて言ったってプロモーションのプロなのですから社会へ与えるインパクトは大きい。
―野村さんが手がけたソーシャルプロモーションに『1億人のバレンタインプロジェクト』がありますが、立ち上げられた背景を聞かせてください。
「1億人のバレンタインプロジェクト」を展開したのは2011年2月で、立ち上げた理由はいくつかありますが、主なものに「一つの企業で社会的課題を背負うには限界がある」と思ったことがあります。私はコーズマーケティングをいくつもプロデュースしてきましたが、これを売上UPのプロモーションとして見ると3年くらいで効果は下がりはじめます。最初は消費者の関心が高いのですが、3年も同じことをやっていると飽きてしまう。正確に言うと流通が飽きる場合が多いのですが、どちらにせよ最も影響力を持っているのは消費者です。なので、これを解決しないと支援は弱まると思いました。しかし、そうしたなかでも地道に広がっている活動があった。それが「PRODUCT RED(プロダクトレッド)」や「ピンクリボン」です。PRODUCT REDはU2のボノらが発起人となったエイズ対策プログラムを支援するキャンペーンで、ピンクリボンは乳がんの検診や早期発見の大切さを伝える活動です。
例えばピンクリボンは、普通に考えると広げるのは難しい活動です。主なターゲットは女性でその時点で対象者は半分、さらに興味のある人はその一部になりますから。しかし、毎年活発に行われている。その理由を考えると、「分野を超えた連携」が一番大きいのではないかと思いました。たくさんのNPOとたくさんの企業が同じ活動のもとに参加している。なかでも、10月のピンクリボン月間では一般の人たちも全国で参加しています。
そこで、これらを参考に企業とNPO、そして一般の人たちが連携する期間限定のソーシャルキャンペーンをやろうと思ったんです。しかしゼロから立ち上げるには時間もコストもかかる。ならば、逆に企業が盛り上がっている既存のキャンペーンに加わり、そのキャンペーンの概念を変えてしまえばいいと考えたんです。そこでカレンダーを見ていたところ2月のバレンタインを見つけました。
日本のバレンタインは独自の進化を遂げています。はじめは告白のためのイベントでしたが、次第に義理チョコ、友チョコ、逆チョコなどへと広がっています。しかし、『プレゼント』という行為は変わらなく、さらに『愛情』や『気持ちを伝える』のも変わらない。そこで、今の時代の『プレゼント』や『愛情』を定義し直したんです。そして、『あなたの贈るバレンタインプレゼントが同時に世界のこどもへも愛を贈る』というコンセプトをつくりました。参加する企業の商品には必ず売上の一部を寄付してもらい、こども支援のNPOへ寄付するように。そうしたところ大手菓子メーカーやパティスリーなどが参加してくれ、こども支援に取組むNPOなども多数参加してくれました。その結果、大きくバズり、「今年のバレンタインは寄付チョコ」「チャリチョコ」といった情報がメディアで広がったんです。その成果には手ごたえを感じ、毎年やって行こうと思いました。しかし、その翌月に東日本大震災が起こり、それどころではなくなりました。
―東日本大震災のプロジェクトの「ありがとうハウス」に弊社は関わりましたが、野村さんからのご提案だったと聞きましたが。
そうです。しかし、あれは提案というより、イシイさん、そしてフロンティアさんに力を貸してほしいというものでした。御社を知ったのは2010年ですが、私たちがCRMに取組む企業人を呼ぶ勉強会を行っていたところ、そこに御社の社員が何名か参加していました。そのなかには名古屋から参加している人もいて。そこで御社はこういった活動への関心の高い人が多い会社なのだなという印象を持ちました。しかし、実際に協働するようになったのはイシイさんとの繋がりからです。イシイさんは震災後のソーシャルキャンペーンで出会いました。私がプロデュースする活動のクリエイティブを担ってくれたのです。そこで、一緒に被災地を周るなかで、「これからはソーシャルプロモーションが必要になる」と言っていました。ソーシャルプロモーションとははじめて聞く言葉でしたが、「プロモーションだからこそ実現できる社会貢献はたくさんある」という言葉には説得力がありました。社会的課題の解決には様々なプレイヤーが参加していることは先ほど述べましたが、活動を進めるとプロモーションに行き着くことは多いんです。地方創生などはまさにプロモーションが求められていますが、そのシンプルな視点にはとても納得し、どこから知り得た概念ですか?と聞けば、イシイさんが被災地で考えたと言います。普通、クリエイティブの方はソーシャルデザインを志向し、デザインの力で解決させようと思います。しかし、人や組織を動かすソーシャルプロモーションの考えには様々な施策があり、大きな刺激を受けました。そこで、ありがとうハウスのことを相談したんです。
ありがとうハウスは「震災遺構」に「コミュニティハウス」をプラスした民間が残す震災遺構です。被災地のなかで最も多くの人が亡くなった宮城県石巻市。なかでも大きな被害を受けた門脇地区に、たった一人で戻って活動を始めた尾形勝壽さん(当時67歳)がいました。一般の人は震災遺構のことはあまり知らないでしょうが、震災の記憶や教訓を伝える建物のことです。代表的なものには岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」や、宮城県南三陸町の「防災対策庁舎」などがあります。しかし、震災遺構を残すことは難しい。それは震災の記憶を後世へ伝える意義はわかるが、いま見ることで辛く思う人がいるからです。しかも、建物の大半が行政のものなので、そのことからたいへんな議論になっていました。そうした中、個人の家を震災遺構として残す活動をしていたのが尾形さんでした。尾形さんはこの震災で奥さんが行方不明となってしまったのですが、この地域はこれまでも津波に襲われてきた。津波は忘れた頃にまたやって来る。だから次の若い世代へは伝えなければならないと活動していたんです。そして尾形さんはこの場所へ人が来てもらうために借金をしてキッチンカーを購入しました。車で作るのはご当地B級グルメの「石巻焼きそば」です。遺構だけではなくこの街の魅力も伝えようとしていた。こうした努力があって、この場所には人が来るようになりました。震災の記憶を遺構と尾形さんの語り部で伝えることができたんです。しかし、周りの建物が全くなくなった場所は海風が強く、ゆっくりと話しを聞くことができない。それにそもそもこうした場所があることを知っている人も少ない。そこでここをプロデュースする必要性があって。それで相談したんです。
そうしたところ、建物のデザインやロゴ、費用などをフロンティアさんが支援してくれました。しかも、建物の外壁は津波によって被害を受けた塩害木を使用し、外から来た人にはこの場所で辛い思いをした人々への想いを書いてもらうプレートまでつくって。あのような建物は存在意義がありますが、行政等からの支援は受けることは難しいんです。だから民間でやるしかない。私は組織の強みと弱みを理解したプロデュースを手がけてきましたが、ありがとうハウスはまさに民間の強みを活かした活動だったと思います。お陰さまでありがとうハウスは広く知られるようになり、震災から4年後に復興のための土地区画整理で解体するまで活動することができました。
―震災関連では、他にも「Japan. thank you アクション」という活動をされていましたが、あの活動はどのようなものだったのですか。
あれは、観光庁のプロジェクトです。震災で観光客が激減し、その数は東北だけではなくその他の地域も同様でした。それは放射能のことで日本全体への風評が広がっていたからです。観光は日本が成長産業と位置付けているものです。いままさに地方創生が注目されていますが、そこには必ず観光が入っています。それ位大事なものなんです。そこで逆風のなかで海外の人へ向けた発信をする必要があった。それならば普通にPRをすれば良いと思うかもしれませんが、まずは「支援への感謝を伝える」ことからはじめようと。
震災ではソーシャルメディアが注目されました。人々がソーシャルメディアによって繋がったからです。そこで、震災から1年が経った時に、世界へ感謝のメッセージをソーシャルメディアによって伝えようとなり、USTREAMが動いたんです。私はこの活動の前に「ありがとうproject」というのをプロデュースしていました。民間企業やNPO、大学生などが参加するキャンペーンです。それを知ったUSTREAMの方から声をかけられてプロデューサーとして参加したんです。
進めるにあたってまず考えたことは、支援への感謝を伝えることが目的だが、日本人からしたら「被災地の人」への支援と理解しますが、海外の人から見れば「日本人全体」への支援だったに違いないということです。なので、メッセージは日本全国から集めようと思いました。またチームも私たちだけが動くのではなく、幅広く参加してもらおう。なかでも、震災ではたくさんの学生が動いており、彼ら彼女らの素晴らしさを感じていたので東北と東京の学生たちに参加してもらったんです。あなたたち自身が考えて、どうしたら良いかを活動してくださいと。そうしたところ活動は大きく拡がり、最終的には全国から1,200以上もの動画が集まったんです。この数は動画キャンペーンでは異例の多さでした。
―そういうこともあり、その後に学生と多く関わるようになったのですか。
そうですね。これが大きなきっかけとなったことは間違いありません。しかし、大学で教えていたことや被災地の学生たちと活動したこともあると思います。私は震災で被災した県にある大学で授業を持っています。年に数回講義しに行くのですが、はじまりは震災前からです。しかし、震災後に学生たちが様々な活動を自主的にはじめているのを目にしました。もちろん学生ですから社会人と比べれば荒削りですが、イノベーションを生みだす潜在能力は高いと思いました。
また、震災の1年半後に被災地の学生が主体的に活動するプロジェクトをプロデュースしたことも大きなきっかけとなりました。これは学生が一人一台の一眼レフカメラを持って、被災地のいまを発信するというもの。震災の風化を防ぐ活動です。しかし、時が経つなかで新たな課題が見つかりました。それは観光客が戻って来ないということです。そこで、ここにしかない魅力を見つけて発信しようとなったんです。そこで探したところ辿り着いた答えが「東北の魅力は人だと思う。」というものでした。被災地は津波によって観光資源の多くを失いました。しかし、そのような場所でも世界のどこにも負けないものがある。それが1000年に一度とも言われる大規模な災害にも負けずに頑張る東北の人そのものであるというもので す。この考えはそのまま写真撮影へと繋がり、最後はポスターを作りました。そうしたところ、全国の観光協会と広告代理店が一緒に併記して応募する最も歴史あるコンクールで入賞したんです。日本中のプロが応募するコンクールで学生だけで作成したポスターが入賞するとは。この経験は私に学生の凄さをさらに印象づけました。ちなみにこの活動にはイシイさんも協力してくださいました。お忙しいなかボランティアとして東北まで指導しに来てくれたんです。
―大学と深く関わるようになったのはその活動がきっかけとなったのですか。
それは私の大学院での学びも大きく関係しています。2つの大学院で学んだことは先ほど述べましたが、そうしたことから同級生や先輩、後輩などで大学教員をしている人が何名もいます。また、学会や講演などを通じて知り合った教員もいて。そうした人たちとは研究や教育などについて話しますが、その中で連携が上手く行ってないことを知りました。それは大学と学外といったものだけではなく、大学内の関係においてもです。
いま、大学は大きな転換期を迎えていて、地域の課題に取組む大学が増えています。それは地方創生の流れが関係していることではありますが、同時に大学改革も関係しています。いま、私大の4割は定員割れを起こしています。少子化が進み、志願者数が減少、進学率も伸び悩んでいるからです。そのようななか、地方創生は大学として真剣に取り組まなければならない一つになっています。そこで各地で行政や企業、NPOなどと連携するのですが、大学が提供できる主要な資源は研究能力と学生の力です。しかし、このような連携は一朝一夕に成功へと導けるものではありません。実際、連携したけれど相手に不満を持たれ、二度と連携しないと言われている大学もあります。そのようななか、私がこれまでやってきた組織を超えたプロデュースや、学生の力で社会的課題に取組んできた活動が注目されて相談を受けるようになったのです。そこで、いまではこうした実践だけではなく、大学の取組みを応援しよう、情報を繋げようと思い、媒体と連携した地域創生に取組む大学の企画もプロデュースしています。
―大学の課題も間に入ってつなげることが野村さんに求められているのですね。
そうですね。そうした点ではCRMと構造は似ていると思います。例えばCRMでは企業とNPOとの間に入って繋げることがあれば、企業内のマーケッターとCSR担当、広報担当の間に入って調整することもあります。こうした活動は組織の外部とだけではなく、内部をいかに繋げるか、調整するかも大きなポイントなんです。こうしたことを手がけるには関係する組織の特長や強み、弱みを理解しておくことが必要です。相手に不得意なことをお願いしても承諾してくれませんから。「このことはできませんか?他の誰よりもできると思うんです」と言えることが大事です。
こうしたプロデュース業務は直ぐにできないかもしれません。しかし、頭で考え過ぎてもダメです。やはり動かないと。プロデュースは前もって考えることが大事ですが、動きながら調整していくことも大事です。この業界は頭で考える人がたくさんいますが、行動まで至らない人も多い。初めは誰もが失敗します。それを恐れずにやってみることが大事です。現場に近い人ほど向いていると思います。
―最後にフロンティアのことを知る野村さんから見て、弊社のソーシャルプロモーションに期待することはありますか。