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ありがとうハウス プロジェクト

2014.09.01 [mon]
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[震災記憶の風化防止を、震災遺構×コミュニティ作りで発信]




ありがとうハウス プロジェクト(宮城県石巻市門脇)


(1)会う


被災者、尾形勝壽さんとの出会いと、尾形さんの夢。




東日本大震災の中で最も大きな被害を受けた

石巻市門脇地区で被災した『札幌ラーメン味平』店主、尾形勝壽氏から

震災当時の話を聞いて、いつまでも震災の事を忘れないようにする活動を、

鉄骨しか無くなってしまった元店舗跡地を使って活動を行いたいという話を伺う。







(2)見つける


塩害木を活用した『ありがとうハウス』というコミュニティハウス




『ありがとうハウス』を作り、コミュニティハウスとして運営していく話を進めた。

『ありがとうハウス』を制作する際の外壁材に、

津波による塩害で伐採されたスギ材木を採用することに。

更に、同じ塩害木を利用してメッセージプレートを制作し、

このハウスに訪れた県外の人たちへ、メッセージを記入してもらい

ハウスの壁に打ち付けていくプロジェクトをコミュニティの第1弾企画として推進。




(3)動かす


語り部たちからのリアルな体験談とボランティア活動の融合




毎月『ありがとうハウス』に東京から通いながら、

たくさんの人たちが立ち寄ってもらえるように、看板や旗を作り、

尾形さんの語り部や、更地になってしまった周辺を花畑に変えて行くプロジェクトを、

周辺のNPOや県外からこられる ボランティアの方々と進めながら、

コミュニティハウスとしての認知度も徐々に高められてきた。












logo

被災地・復興地から発信する




“祈りの旗印”ありがとうハウス




被災された方と応援される方が繋がり震災の風化を防ぐプロジェクト




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『ありがとうハウス』は、数少ない民間が残す震災遺構です。

記憶の風化を防ぎ後世に語り継げることを民間が行っています。












logo


の可視化”=ありがとうハウス





2013年4月からスタートした『ありがとうハウス』プロジェクトは、

今年被災から3年が経つタイミングで2年めの プロジェクトへと推進します。

『ありがとうハウス』は、震災の記憶の風化を防ぐために他県からいらした人々と、

地元の人々を繋げる絆を可視化させたシンボルと、

民間が残す震災遺構を併せ持つ コミュニティハウスプロジェクトとして進化させていきます。



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『民間が運営する震災遺構をベースにコミュニティハウス運営を推進




被災地から発信する祈りの旗印作り




『ありがとうハウス』Project










Mission




震災をいつまでも風化させず 記憶の中に留めることが 出来る新しいきっかけ作り。




Challenge




被災者と支援者が共に作る コミュニティハウスの運営/PRの実践




Solution




『ありがとうハウス』は、 最も大きな被害を受けた石巻から、 祈りの旗印として、 被災者と、支援者とのコミュニケーションを 橋渡し、震災の記憶を風化させない為の コミュニティを作るプロジェクトである。

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『ありがとうハウス』project概要




=石巻の被災地から発信する祈りの旗印で展開するコミュニケーション事業の概要

(被災地観光に於けるコンテンツ開発事業の一環として)




(1)祈りの旗印『ありがとうハウス』




元ラーメン屋(味平)の跡地内に増設します)



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(2)被災者への激励




(メッセージプレート)



→間伐材を利用した メッセージプレート(1枚¥500~) にメッセージを書き込んで ハウスにぶら下げていく



*メッセージプレートは、 石巻周辺の仮設住宅にいる 住民の方々に加工納品。



*学生ボランティアにも要請



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(3)災の伝承(語り部による)




被災地を訪れた他県の人たち向けた発信として 被災者(語り部)からの体験談を聞くコトができる



*語り部の方は、当初は焼きそばや店主、尾形さんで対応



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(4)公式facebook




『ありがとうハウス』での活動を発信し、

アーカイヴしていきます。





『ありがとうハウス』project 概要(1)【ありがとうハウス】




◎石巻で被災した『札幌ラーメン味平』店主、尾形勝壽氏の協力を得て、

いつまでも震災の事を 忘れないようにする活動を、

鉄骨しか無くなってしまった元店舗跡地に、『ありがとうハウス』を作り、

コミュニティハウスとして運営していきます。



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震災の爪痕が判る鉄骨組みの中に、コミュニティハウス『ありがとうハウス』を建設し、

この場所をハブにさまざまなコミュニティイベントを企画し、

石巻の“祈りの旗印”へと展開していく





『ありがとうハウス』 Project 概要(2)【被災者への激励メッセージプレート】




『ありがとうハウス』の建設後、地元住民と他県の来訪者を繋げる

コミュニケーション施策として、 購入参加型PROJECTツールとして、

“ありがとうメッセージプレート”を貼り、 “祈りのランドマーク”として

象徴的なコミュニティハウスを形成しています。




①メッセージプレートの製作




震災で被害を受けた塩害木を使用した メッセージプレートの製作



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②メッセージプレートの展開




塩害木で作られたメッセージプレートを 1枚500円で販売し、

他県からの訪問者にメッセージを描いた後、 ハウスの壁に打ち付けてもらいます



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『ありがとうハウス』 Project(メッセージプレート活動)




『ありがとうハウス』活動の継続的な情報発信を地元メディアやソーシャルで展開しています。



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※2013.9.21現在(36都道府県/6カ国)



■北海道:札幌市



■東北:岩手県、宮城県、青森県、山形県



■関東:東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県、栃木県、茨城県、群馬県



■中部:新潟県、石川県、山梨県、静岡県、愛知県、岐阜県



■近畿:大阪府、京都府、滋賀県、兵庫県、奈良県



■中国:岡山県、山口県、島根県



■四国:徳島県、高知県、愛媛県、島根県



■九州:福岡県、長崎県、熊本県、大分県、鹿児島県、沖縄県



■海外:セネガル、コロンビア、フランス、ベルギー、アメリカ、韓国





『ありがとうハウス』 Project 概要(3)【震災の伝承/語り部】




◎『ありがとうハウス』の建設後、地元住民と他県の来訪者を繋げる

コミュニケーション施策として、 石巻の地元住民に於ける、他県来訪者に対する、

被災体験の語り継ぎを展開します。




①『ラーメン味平店主:尾形氏』




『ありがとうHOUSE』に於ける当面の語り部として活動していきます











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昭和49年より妻と二人でカウンターだけの お客さんが10名しか腰かけられない

網走ラーメン番外地のラーメン専門FCチェーンを

石巻バイパス沿いに開店させました。

毎日午前2時までの忙しさ。

その後、 石巻の鹿妻店札幌ラーメン島っ子チェーンを開店。

渡波折立に万石太郎店松島にたかみ食堂を開店。

その後、子供ができ、借宿から昭和56年 札幌ラーメン味平として

現在の門脇町にオープンしました。

近くに日本製紙工場があり、毎日忙しい日々でした。

石巻の日常を長年にわたって飲食店として営んできました。

3月11日のあの東日本大震災によって店舗兼住宅も 一瞬の内に流され、

火災に遭い、何一つありません。

長年、一緒にお店を切り盛りしていた最愛の妻も亡くなりました。




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『ありがとうハウス』のPROJECTとして、県外から来訪して来た人たちへ 被災当時の話を、

リアリティあるロケーションで語り継いでいきます



*語り部ボランティア経費は、旅行代理店との企画パッケージの中でインクルードしていく予定